コラム

Vol.75

by ひきたよしあき 2021.09.15

「待つ」のコトダマ

約束の時間より5分早く到着する。

子どもの頃からそう決めています。
初めて腕時計を買ってもらったとき、
父から5分長針を進めることを教わりました。

「これで5分前行動ができる」

父はこれを実践していました。
そう言えば、父が時間に遅れることは
皆無でした。

待たせるより、
待つ人間であれ。

腕時計を手にしたときに
私が学んだことでした。
今でもこうありたいと思っています。

明治の頃の小説を読むと、
「待ち時間」が多いことに気づきます。
友や先生の家を訪ねていって
帰りを待っている。

手紙しか通信手段のない時代
ですから、アポなしで訪ねることが
多かったのでしょう。

相手の家を訪問し、奥様や
お母様と話をする。
庭を眺める。
そこから克明な心理描写が
始まって、物語が展開していく。

「待つ」ことは、時間の無駄ではない。
この隙間の時間に、考えたことや
交わした会話によって人生が進展する。
これは小説の世界以外にもよく
ある話です。

「試験会場には、予定の30分前に
着くことを心がけるように」

予備校に通っていた頃、
よく言われました。

電車が遅れるかもしれない。
トイレが混んでいるかもしれない。
何より早く着いて、その場に慣れる
ためにも早く着いた方がいい。

このアドバイスによって
私は何度も救われました。
秋になると模擬試験が毎週のように
ありました。
初めての会場で乗り換えに何度も
手間取りました。
試験会場に着いてから教室が
わからない。
案の定、朝のトイレが混んでいる
こともよくありました。

それでも30分前に着くことを
心がけておけばなんとかなるものです。
「待ち時間」は、準備のための時間
として必要なものなのです。

最近、SNSで連絡をとる機会が
増えました。
多少遅れても、相手にすぐ連絡が
つきます。
スマホのおかげで待ち合わせ場所を
迷うこともなくなった。
おかげで、

「なんとなく15時くらいに、
あの辺の場所で、適当に。
近くなったら連絡取りあいましょう」

という感じのゆるい待ち合わせが
増えてきた。

ありがたいことですが、
以前ほど、ドキドキ、ワクワクする
気持ちがなくなるように思えるのは
私だけでしょうか。

時代が変わっても、
5分前行動は心がけたい。

「待つ」というコトダマには、
ただ時を過ごすだけでなく、
人やものごととの出会いを
喜び、期待し、夢をふくらませる
力があると思うのです。

今なお、アナログの腕時計を
5分進めて、待たせるより
待つ人間であるよう心がけています。

  • ひきたよしあき プロフィール

    コラムニスト。
    明治大学で教鞭をとるかたわら、朝日小学生新聞にコラムを連載、読者である子どもたちとの文通も行っている。
    著書に、「大勢の中のあなたへ」(朝日学生新聞社)、「5日間で言葉が『思いつかない』『まとまらない』『伝わらない』がなくなる本」(大和出版)等。