Vol.109 |
2024.07.16 |
メロスのコトダマ
読み終えて、バタンと本を閉じた瞬間に、深いため息がでる。
「ほーっ、面白かった!」
と、つぶやいて、しばらくその余韻にひたる。
多くの人が、一生のうちに何度かそんな経験をします。
私が初めて経験したのは、小学4年生の時に読んだ「走れメロス」(太宰治 著)でした。
「メロスは激怒した」という冒頭から、「勇者は、ひどく赤面した」という最後の一行まで、ジェットコースターに乗っているかのように心を揺さぶられました。途中、体力の限界が来て、弱気になる。卑屈な逃げ根性が芽生える。そこから復活して、沈みゆく夕日に向かって走るメロスの姿が、脳裏で映像化されました。その姿が自分と重なり、汗が出て、血が沸きました。
「ほーっ、面白かった」
その余韻から、30分ほどして、これまで味わったことのない感覚にとらわれました。
「こういう小説を書きたい」
なぜそう思ったのかわかりません。しかし、私は、「物語で人を感動させることの素晴らしさ」に一瞬で取り憑かれたのです。
「どうすれば、こんな話が書けるのだろう」
そう思って最初から、読み返しました。一気に、3、4度再読しました。
それだけでは飽き足らず、ノートを開いて、文章を写し始めました。「邪智暴虐」、「獅子奮迅」、「ふと耳に、潺々」・・・難しい字の意味を辞書で調べて書いていく。時間をかけて書き写すと、まるで自分が小説家になったような気分です。
「こういう小説を書きたい」
と思って、今度は自分が書いたノートを読む。すると新たな発見がありました。
「メロス以外の人は、どんな気持ちでいたのだろう」
特に気になったのは、邪智暴虐な王様のこと。冷酷で、残忍だけれど、どこか悲しそう。
「もしかすると王様は、冷たい人ではなく、寂しい、孤独な人なのかも」
そう気づいて読み返すと、随所に寂しい王様の気持ちが表れています。
「そうか、単純に正義の味方と悪者に考えて読んじゃいけないんだな。悪者に見える人にも、いい面もあるんだな」
と考える。この時に初めて、「小説を主人公以外の人の視点で読むこと」の大切さを知ったのです。
たった一冊の本を、表紙がとれて、バラバラになるまで読みました。「走れメロス」はその後、何十回と全編を書き写しています。「メロスのコトダマ」が乗り移り、自分も人を感動する物語を書けるようになりたい。そんな思いは、今なお持っています。
私は、たくさんの本を読むことが、よい読書だとは思っていません。もちろん、いろいろな物語に出会うことで広がる世界もあります。しかし、それ以前に、自分の軸になる読書をすることが大切なのではないでしょうか。ストーリーもセリフも記憶しているほどなのに、また読みたくなる。書き写したくなる。一人の作家の作品を読み倒すことで見えてくる世界があるのです。
みなさんには是非、私の「走れメロス」のような作品に出会ってほしいと思います。マンガでも、歴史書でも、図鑑でもいい。何度も、何度も読み返したり、書き写したくなる本を持つ。
これが最高の読書法であり、読解力を身につける最善の策だと確信しています。
この夏も、また「走れメロス」を読むつもりです。
10歳のときの感動を、また味わおうと思っています。