コラム

Vol.56

by ひきたよしあき 2020.08.11

趣味のコトダマ

子どもの頃から万年筆が好きで、
今では300本近く持っています。

新しいペンはもちろん。
職人の手作り万年筆から、
大正期あたりの骨董品まで
集めている。
ただ観賞用に集めるのではなく、
実際に使って書き味を楽しみます。
半世紀近く続けているもので、
今では目を閉じていても、紙に
ペン先を滑らすだけで、
メーカーをある程度判別できます。

万年筆に目覚めた中学時代。
舶来のペンをもらったときに
ついていた解説書を読みました。
辞書を引きながら英文を最後まで
読んだのは、これが初めてでした。

たかだか万年筆ではありますが、
そこに歴史も経済もあります。
ナチス政権下。物資が不足する中で
ドイツ人は、無駄を徹底的に省いた
名品を作ります。
そのペンを、ベルリンの骨董屋で
見つけたときの喜びは今でも
忘れられません。
その後、ドイツが復活するとともに
万年筆がどのように変わっていったか。
私は資料が何もなくても、3時間は
語ることができます。

「趣味」には、恐ろしい力があります。

万年筆をもっと深く知りたい!
その衝動で、分厚い英語の本を読破
しました。わずかな形の違いの背後に
ある美術の歴史を学びました。

たまたま私は、万年筆ですが、
鉄道が好きな人、クルマが好きな人、
食器が好きな人、着物が好きな人、と、
あらゆる分野に少々クレイジーな連中が
います。
分野は違っても、その人たちの話は
非常に面白い。通底するものがあります。

文通している小学生たちが、
中学になったとたんに趣味に走ることが
あります。
やけに長い手紙だなと思ったら、
夏休みの間に「万葉集」のマンガにはまり、
そこから「万葉集おたく」に変身したようです。
何かに取り憑かれたかのような勢いと、
これまで読んだことのない饒舌な文体。
彼女の心に「趣味のコトダマ」が宿り、
一気に成長を促しているかのようでした。

趣味は、人を育てます。
たとえ他の趣味へと浮気しても、
何かに情熱を傾けたとたん、自分の
身の丈よりも高いところにある情報、
技術、審美眼を手にいれたくなるものです。

常識で考えたら無理な高さまで飛ぶ。
ありえない障壁を乗り越える。
その情熱を与えてくれるのが
「趣味のコトダマ」です。

一本の万年筆が、私の人生に彩りを
与えてくれました。
夢は、ロンドン、ミュンヘン、パリ、
サンフランシスコの骨董品文具屋を
回ること。
生き甲斐すら、「趣味のコトダマ」が
与えてくれているのです。

  • ひきたよしあき プロフィール

    作家・スピーチライター
    大阪芸術大学客員教授
    企業、行政、各種団体から全国の小中学校で「言葉」に関する研修、講義を行う。
    「5日間で言葉が『思いつかない』『まとまらない』『伝わらない』がなくなる本」(大和出版)、「人を追いつめる話し方、心をラクにする話し方」(日経BP)など著書多数。