コラム

Vol.96

by ひきたよしあき 2023.06.15

温かさのコトダマ

10日近く病気で床に就いたのは、7、8年ぶりのことでした。
風邪をひいて休むことはありましたが、これだけの期間、布団から
出られないのは久しぶりです。

当時はまだ家に母がいて、食事時になれば温かくて消化のよい
ご飯が定時に出てきました。

「食欲がない。おいしくない」

などとわがままを言って食べないこともしばしば。
しかし、母が老人ホームに入り、何もかも自分でやらなければ
ならないようになると、そのありがたみで胸がいっぱいになります。
老いていながら病気の息子のためにご飯をつくる母。
それを思うと、いかに自分が感謝を知らない人間であるか、
猛省するばかりです。

思えば小学生の頃、母に「お腹が痛い」と言ったことが
ありました。病弱だった私は、そんなことをしょっちゅう言って
ました。
しかし、この時は、母が即座に

「盲腸じゃない?」

というのです。私はいつもと変わらない腹痛だと思って
いました。母は、すぐに私を大きな病院に連れていきました。
診断は、盲腸。翌日に手術になりました。

「どうしてわかったの?」

と聞くと、「顔色とお腹を押さえている場所がいつもと違った」
と言いました。子どもながらにすごい!と思ったものです。

病床では、こんなことばかりが思い出されます。
汗をかけば洗濯もしなければならない。いつも太陽に
干した布団で寝ていた子ども時代が頭を駆け巡ります。

大学生の頃、大学受験を指導するアルバイトをやった
ことがあります。著名な予備校の先生の横で、お世話を
する仕事でした。

多くの受験生の母親が、

「子どもが受験のとき、親は何をすればいいのでしょう」

と先生に聞いてきます。
その度に先生は、

「温かくしてあげてください。温かいものを
食べさせて、温かいお風呂に入れ、温かな布団で
眠らせてあげる。そして極力、温かい言葉を心がけて
ください」

と言いました。

「全然、指導になってない・・・」

と当時の私は、小馬鹿にしていました。
しかし、年齢を重ねるごとに、この受験指導の
的確さを思い知ることになります。
私自身、つらいとき、苦しいときに、
「親に温かくしてもらった経験」に戻ることで、
羽を休め、体を癒すことができたから。
変に励ましの言葉をかけられるよりも、
「親の作る温かみ」には、何をも凌駕する
力があるのです。

病状が思わしくない中、老人ホームの母から
毎朝電話がありました。
声を出すのも、つらい中、つっけんどんな
受け答えをしていると、母がこう言いました。

「病気の息子の世話をできない親は、寂しい」

私は、「温かさのコトダマ」を聞いた気がしました。

親に、こんな思いをさせてはいけない。
投げやりになってないで、しっかり治そう。
そんな気にさせてくれる一言でした。

病気には、養生と薬が有効です。
しかし、それ以上に力を与えてくれるものは、
愛する人、親しい人が与えてくれる
「温かさのコトダマ」だと思う。

治ったら私も、温かい人であろうと思った
病牀六尺の記でした。

  • ひきたよしあき プロフィール

    作家・スピーチライター
    大阪芸術大学客員教授
    企業、行政、各種団体から全国の小中学校で「言葉」に関する研修、講義を行う。
    「5日間で言葉が『思いつかない』『まとまらない』『伝わらない』がなくなる本」(大和出版)、「人を追いつめる話し方、心をラクにする話し方」(日経BP)など著書多数。