コラム

Vol.62

by ひきたよしあき 2020.11.02

時中のコトダマ

仲良くして頂いている易経研究家の
竹村亞希子先生が、

「無常とは、常にないこと」

と語っていました。

「無常」と聞くと、「人生ははかないものだ」
という寂しいイメージが先にきてしまう私には
はっとする言葉でした。

常に同じものはない。
万物は、いずれは変化し、滅していく。

2020年は、特にそれを感じる一年でした。

私ごとになりますが、会社を定年退職した。
どこかで未来永劫続くように思っていた
生活が、雪が溶けるかのように消えました。

新型コロナウィルスの影響で、街の姿が
一変し、私たちが当たり前だった「日常」は
「常にはない」ものだと思い知らされました。

文通している何人かの小学生が、

「背が6センチ伸びました」

と嬉しそうに書いてきた。よく見ると春の頃より
文字が安定し、着実に漢字の量も増えている。
この少年も日々刻々と変化しています。
子どもたちの「常にない」姿は、私たちに喜びを
与えてくれます。

しかし、大人になるとこうはいかない。
人生が無常なものならば、何をしても無駄に思える。
がんばったところで、一切のものは生じて
変化して滅するものだとするならば、一体何を
すればいいのかわからなくなってしまいます。

竹村亞希子さんは、そこで「時中」という言葉を
教えてくれました。

「時と中(あて)る」
そのときにぴったりのことをする

という意味だそうです。

春には春のことをし、秋には秋のことをする。
冬の氷の上に種を蒔いても芽はでない。

当たり前のように聞こえますが、
私たちの生活から「時中」が薄らいでいる
のではないか。

店頭の野菜から季節感が失われている。
冷暖房が完備されて、暑さをこらえ、
寒さに耐える工夫を忘れてしまった。
リモートワークでいつ何時でも自宅で
仕事ができるようになった結果、
生活にメリハリがなくなってしまった。

常にないはずのものがある。
だから、ぴったりのことをするのが
難しい。

そんな世の中を生きているように
感じるのです。

だからこそ、「時中」を意識したい。

勉強するときに勉強し、
働くときに働き、
運動するときに運動し、
食べるときに食べ、
寝るときに寝る。

スマホ片手にご飯を食べるような
ことは避け、「ご飯を食べる」という
「時中」に集中する。

一寸先が見えない無常のときだからこそ、
そのときにぴったりのことをするという
「時中のコトダマ」を大切にしたいと
思うのです。

  • ひきたよしあき プロフィール

    コラムニスト。
    明治大学で教鞭をとるかたわら、朝日小学生新聞にコラムを連載、読者である子どもたちとの文通も行っている。
    著書に、「大勢の中のあなたへ」(朝日学生新聞社)、「5日間で言葉が『思いつかない』『まとまらない』『伝わらない』がなくなる本」(大和出版)等。