コラム

Vol.60

by ひきたよしあき 2020.10.05

鉛筆のコトダマ

長年使っている「鉛筆削り」が
壊れました。

手動のもので使い始めたのは
中学の頃です。
50年近く働いているのだから
壊れても不思議ではありません。
捨てるには忍びないので、
オブジェとして棚に飾りました。

新しいものを買いに文房具屋さんに
いくと、ガラスケースの中に
鉛筆削り用の小刀が売っていました。

「なつかしいなぁ」

子どもの頃の記憶が戻ってきました。

小学校3年から4年にかけて、
私は生きていくために必要なことを
父に教えてもらいました。

マッチで火をつけること。

小刀で鉛筆を削ること。

一人でバスや電車に乗ること。

どれもこれも、怖くてドキドキする
ものばかり。
やれるようになると、急に大人に
なった気がしました。

「はじめはうまく削れなかった
よなぁ。芯は尖らないし、不格好だし。
みんなに笑われたこともあったよなぁ」

父や母の削った鉛筆の美しさと鋭さに
憧れていた時代を思いだしていました。

「予定変更!鉛筆削りではなく、
小刀を購入しよう!」

「久しぶりに小刀で鉛筆を削りたい!」

衝動に駆られて、かっこいい小刀を
手にいれたのです。

家に帰って、家にある頭の丸まった
鉛筆を集めます。
昔のように新聞紙を敷いて、
小刀をもつ。
シュっと動かすと、かすかに
木の匂いがする。
新しいだけのことはあって、
すごい切れ味です。

しかし、よく切れるにも関わらず、
どうにも格好が悪い。
片方はキレ過ぎ、反対方向は
不格好に残っている。
芯は尖らせたというよりも、
割れて細くなった状態です。

「そう言えば私は、削るのが
嫌いになって、結局鉛筆削りを
買ってもらったんだ」

過去の記憶は、脳に美しく保存
されるけれど、その実態の多くは
自分に都合のよいように加工された
「模造の記憶」です。
小刀による鉛筆削りもそのひとつ
だったのです。

慣れてくると少しマシにはなって
きました。

ネットにその鉛筆を掲載したら、
みんな懐かしくなったのか、
同世代の友だちから
「久しぶりに小刀で削った鉛筆」
の写真が送られてきました。

鉛筆を削る感触、音、匂い、
そんな「鉛筆のコトダマ」を多くの
人が楽しんでくれたようです。

手で文字を書くことすら
機会を失いつつある私たち。

だからこそ、文字を書くために
いちいち鉛筆を削る必要があった
時代が貴重に思えるのです。

今、目の前には3本の鉛筆が
あります。どれも不格好に削られて
いますが、その姿が私に似ている
ようです。

しばらくは、鉛筆削りを買わず、
鉛筆を削る楽しさを味わいます。
木の香と削る音に、心を癒して
もらいます。

  • ひきたよしあき プロフィール

    コラムニスト。
    明治大学で教鞭をとるかたわら、朝日小学生新聞にコラムを連載、読者である子どもたちとの文通も行っている。
    著書に、「大勢の中のあなたへ」(朝日学生新聞社)、「5日間で言葉が『思いつかない』『まとまらない』『伝わらない』がなくなる本」(大和出版)等。