第56回「博報賞」 博報賞受賞
[長野県]大鹿村立大鹿中学校
文化の担い手を地域ぐるみで育てる
下伊那郡大鹿村は、南アルプスと伊那山脈の谷間に位置する山村。村には300年以上前の江戸時代から伝わる地芝居「大鹿歌舞伎」があり、国の重要無形民俗文化財に指定されている。同村にある唯一の中学校、大鹿中学校では、全校生徒が地域の伝統文化を学ぶため、大人たちが演じる大鹿歌舞伎の演目に取り組み、毎年秋に自主公演を開催。地域の大人たちが学校と協力して「文化の担い手」を育て、子どもたち自身も自らの成長を感じながら地域文化に触れる営みは50周年を迎え、持続可能な地域づくりの一端を力強く担っている。
大鹿歌舞伎はもともと、村内の集落ごとに伝えられてきた地芝居で、各集落の神社に奉納する形で公演が行われてきた。戦後の高度経済成長期に入ると、若者が都会へ流出するようになり、村は過疎化が進む。集落ごとで芝居を維持することが厳しくなり、1956(昭和31)年、一つにまとまって保存会ができ、村を挙げて維持していくことになった。現在では毎年5月と10月に定期公演が行われている。
過疎化を背景に立ち上がった「歌舞伎クラブ」
中学生は、大人たちが行う公演に参加する一歩前の段階だ。村に保存会ができてほどなくしたころ、「中学生たちにも歌舞伎を体験させてあげたい」という声が起こったのは、地域文化の担い手をしっかり育て、若者たちが村に愛着を持ってほしい、という願いが強まったからだった。
このころ、大鹿村には「鹿塩中学校」と「大河原中学校」の2校があった。1975(昭和50)年、地域の人々の願いを受けて、鹿塩中学校に「歌舞伎クラブ」が誕生。これが今に続く活動の始まりだ。指導役を買って出たのは、当時、保存会で中心的な役割を務めていた村職員の片桐登さん(1928~2025年)。また、当時の先生たちも「学校の中で学ぶだけでなく、地域のことを幅広く学ぶ中でふるさとの大切さを知る機会を作りたい」とクラブの設立を認め、後押しした。
村内の二つの中学校は1980(昭和55)年に統合され「大鹿中学校」となり、歌舞伎クラブはそのまま新校でも引き継がれた。授業時間内に行う「課内クラブ」での活動で、片桐さんの熱心な指導に、生徒たちも楽しみながら取り組んだ。
生徒の熱意が存続の危機を救う
しかし、中学校の歌舞伎クラブは、スタート直後から大きな壁に突き当たる。当時、村は過疎化が進んで財政状況も厳しく、村職員の片桐さんが、勤務時間中に歌舞伎の指導を行うことが、村議会で問題視された。「それほど歌舞伎の指導がしたいなら、村役場を辞めるべきではないか」―。今では貴重な地域文化の伝承も、当時の状況では理解しがたい活動と見なされたのだ。
その危機を救ったのは、当時の生徒たちだった。「どうか片桐さんを辞めさせないでください」「私たちはもっと歌舞伎を学びたい」。村長のもとにこうした手紙が届き、その願いが聞き入れられて、指導は継続できることに。その時に、中学校での歌舞伎学習の強い土台が出来上がった。
一人一人の思いに寄り添い、成長を見守る
大鹿中学校の生徒数は、昭和50年代には100人以上いたが、平成の初めころには40人前後になり、さらに減る傾向が続いた。歌舞伎クラブの活動は、課内クラブから総合的な学習の時間で行うようになっても、希望者が集まる形で続けられてきたが、2009(平成21)年からは全校生徒で取り組むようになった。
活動は、新学年がスタートする4月から、公演を行う9月まで。基本的には1年生が舞台の裏方である「黒衣(くろこ)」を務め、2・3年生が役者を務める。片桐さんの志を受け継ぐ、村職員の北村尚幸さんをはじめとした「大鹿歌舞伎愛好会」の会員による指導のもと、生徒は中学での3年間を通して「一つの舞台にはさまざまな関わり方があり、それぞれの役割を責任持って果たさなければ良いものができない」ことを学ぶ。
生徒の中には「裏方なんてつまらない」と思う子もいれば、「恥ずかしくて演じることができない」と思う子もいる。それでも、黒衣を務める中でその役目の重要さに気付いたり、裏方として役者を見ることで「自分ならこうしたい」と意欲が湧いたりすることもある。長いせりふを覚えたり、難しい所作を人前で見せたりすることで、自分に自信が持てるようになることもある。同校の先生たちは、一人一人の生徒の思いに寄り添いながら、歌舞伎を通して成長する様子を見守る。
自分自身の成長を実感する生徒たちも多い。「大きな声でせりふが言えるようになった」「練習では苦労したけれど、仲間と協力しながら自分の役割をしっかりこなそうと思うようになった」「教えてくれる地域の先生や、公演のために舞台の準備をしてくれた大人たちに感謝の気持ちを持った」…。生徒たちは活動を通し、やがて自分たちが村の文化の継承者になることをしっかりとイメージしているようだ。
50周年記念公演が成功、活動を未来へ
2025年9月28日、大鹿中学校の体育館で行われた公演は、中学校での歌舞伎学習が始まってから50周年の節目を記念して行われた。この日の演目は「六千両後日文章 重忠館之段」(ろくせんりょうごじつのぶんしょう しげただやかたのだん)。平家滅亡後、源氏方に捕らえられた平清盛のひ孫を助けようと、平家の落ち武者の悪七兵衛景清(あくしちびょうえかげきよ)が戦いに挑む―という物語で、大鹿村だけに伝わる脚本だ。
役者が登場する花道など舞台の設営やさまざまな準備は、例年の公演と同様に生徒の親たちが引き受けた。そして客席には生徒の家族だけでなく多くの村の人、さらには村を離れたかつての卒業生などの姿も。例年の2倍となる約300人もの観客が見守る中、生徒たちは約1時間半の大作をやり切った。体育館に響いた満場の拍手は、生徒たちの熱演に対してだけでなく、地域の人々の熱心な教育活動が50年の永きにわたって続けられてきたことを称賛して送られたようでもあった。
大鹿中学校の生徒数はこのところ20~30人ほどで推移している。村には豊かな自然環境を求めて都会から家族で移住してくる人も多く、同校にも移住してきた生徒がいる。そうした生徒たちも、歌舞伎を学ぶ中で大鹿村の伝統文化に触れ、地域への愛着を深めていくという。
同校の田代博子校長は「地域のことを学びながら、自分なりの課題を見つけたり、その解決に主体的に取り組んだりする姿勢も身に付けることができます。ここを巣立った若者たちが、地域文化の担い手となり、ここで後継者を育てていく。そうしたサイクルができていることにも、大きな意義を感じています」と話し、村の未来へとつなげる活動を地域の人々とともに発展させていきたいと願っている。
(信濃毎日新聞2026年3月13日 掲載分より転載)
※記載の所属・役職は、受賞当時のものです。
博報賞とは
「博報賞」は、児童教育現場の活性化と支援を目的に、財団設立とともにつくられました。日々教育現場で尽力されている学校・団体・教育実践者の「波及効果が期待できる草の根的な活動と貢献」を顕彰しています。また、その成果の共有、地道な活動の継続と拡大の支援も行っています。
※活動領域:国語教育/日本語教育/特別支援教育/日本文化・ふるさと共創教育/国際文化・多文化共生教育 など
第57回「博報賞」の応募受付を4月1日(水)より開始します。
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*博報賞に関するお問い合わせ先
hakuhoushou@hakuhodo.co.jp (博報賞担当宛)




