Interview

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戦後の日本人とアジアの人々との
市民レベルの関係構築を見つめ、
日本人のアイデンティティに迫る

戦後の日本人とアジアの人々との
市民レベルの関係構築を見つめ、
日本人のアイデンティティに迫る

研究タイトル「戦後日本の市民社会とアジア:草の根での繋がりの構築」

オーストラリア国立大学 アジア太平洋カレッジ 文化・歴史・言語学科 准教授、副学部長

アベネル サイモン アンドリューさん(オーストラリア)[第14回招聘研究者]

研究タイトル「戦後日本の市民社会とアジア:草の根での繋がりの構築」

オーストラリア国立大学 アジア太平洋カレッジ 文化・歴史・言語学科 准教授、副学部長

アベネル サイモン アンドリューさん(オーストラリア)[第14回招聘研究者]

日本と韓国や中国などのアジアの近隣の国々は、第二次世界大戦後、新しい関係を築くために長い時間と労力を費やしてきており、今もなおさまざまな葛藤を抱えています。その一方で、一般の日本人とアジアの人々は市民同士での交流や活動により、日本とアジアの関係を草の根で支えてきています。
その日本とアジアの戦後の市民レベルでの関係構築を研究しているのが、オーストラリア国立大学アジア太平洋カレッジのアベネル サイモン アンドリュー先生です。半年間の滞在研究の内容や成果について、お話を伺いました。

 

深いところで日本人を理解し、日本社会の現実を伝えたい

 

まず日本語や日本文化に興味をもたれたきっかけを教えてください。

 

 1988年、オーストラリアのクイーンズランド大学の2年生だったときに、日本語の勉強を始めました。そのときはビジネス専攻でした。ちょうど80年代は日本の経済が「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という時期で日本からオーストラリアへの投資も非常に増えていて、ビジネスを勉強するなら日本語も勉強するという感じだったんですね。

 ただ途中からビジネスの勉強は面白くないと感じ始め、日本語のほうが面白くて成績も良かったこともあり、卒業後の1990年にワーキングホリデーで1年間、東京の板橋区に滞在しました。その後、帰国してオーストラリアの銀行に就職したのですが、やっぱり自分には合わない(笑)。

 それでもっと日本について勉強したいと思い、銀行を辞めるときにちょうど日本へ留学するための奨学金があり、奨学金を使って1992年から4年間、東京の国際基督教大学(ICU)で学びました。その後カリフォルニア大学へ行き、アジア研究で修士を、歴史学で博士をとりました。

 ここに至るまでに少し時間はかかりましたが、自分では一度も後悔したことはないですね。最初のキャリアをわざわざ辞め、違うキャリア���選んできたわけですが、自分にとってはいちばんいい道を選んだと思っています。

 

日本への興味の中で、特に日本の近現代の歴史をテーマに選ばれたのはなぜですか?

 

 ICUでの私の指導教授は日本の社会運動、明治時代の社会運動についての研究者で、彼の影響を受けて社会運動に興味をもつようになりました。そして勉強しているうちに戦前ではなく戦後はどうかと考え始め、戦後の社会運動や市民活動、そして労働組合や労働運動などにも興味を持つようになりました。

 なぜ社会運動なのかといえば、僕自身はそういう運動に参加する人間ではないので、熱心に社会運動をする人はどうしてそういうことをするのかという単純な疑問があります。

 それと、海外のステレオタイプな日本人像が好きではなかったのもあります。たとえば海外では、日本人にとっては所属する集団がいちばん大事とか、自分の意見はない、反対はしないと思われていますが、実はそうでもない。そういう部分も面白いと思いました。つまり、もう少し深いところで日本人を理解したいというか、ステレオタイプに語られがちな日本の表面の下にある多様性、さまざまな日本社会の現実を、自分も理解したいし、学者としてそれを一般の人にも紹介したいと思いました。

 

 

「日本とアジア」「日本の中のアジア」という二つの観点で研究

 

今回の滞在研究の内容はどのようなものですか?

 

 今回、私は勤務しているオーストラリア国立大学・アジア太平洋カレッジで4年間、副学部長を務めたため、大学から半年間の研究休暇をもらえることになり、ちょうどすべてのタイミングが合って、このフェローシップに応募することができました。

 今回の研究は、自分のもともとの興味とも深く関係していますが、特に戦後日本とアジアの関係に注目しています。なかでも「日本とアジア」という観点と「日本の中のアジア」という観点、両方に興味があります。

 まず「日本とアジア」という点では、第二次世界大戦が終わって、どうやって日本が周りの国々と新しい関係を作ってきたのかを、歴史的な観点から研究したいと思っています。ビジネスや政治家、官僚といった観点ではなく、ふつうの市民や活動家、進歩的知識人などが、第二次世界大戦後にアジアの国とどうやって関係を作ってきたのか、ということです。実は英語の文献ではそうした研究はほとんどありません。国同士や政治家同士の歴史、国際関係の歴史はたくさんありますが、一般の人たちの活動は知られていないので、その点について戦後を通して研究し、本を書きたいと思いました。先人の研究がないため、とにかく自分で資料を見つけてその物語を一から作らなければいけないという、大きなチャレンジになります。

 次に「日本の中のアジア」というのは、日本の中でのアジアとの関係の作り方であり、日本の中の多様性にも関係しています。先ほども日本人にも色々な人がいると話しましたが、日本は単一民族という考え方もありますけれども、実際にはそうではない。そういう点も昔から研究したいと思っていました。たとえば在日朝鮮・韓国人との関係などもそうです。両国の側にさまざまな思いが残っていて、今でも難しい問題だとは思いますが。

 

確かにさまざまな葛藤があり、日本でも情報が整理されていない気がします。

 

 実は、「日本とアジア」の研究は、日本人のアイデンティティとも深く関係しています。日本の近代史を見ると、福沢諭吉の「脱亜入欧」という言葉に象徴されるように、日本人にはアジア人かアジア人ではないかという葛藤が近代を通してずっとあります。

 また日本人とは何か、誰が日本人で誰が日本人ではないのかということも、非常に面白いテーマです。在日朝鮮・韓国人で日本で生まれ、日本語で生活していて韓国語は話せないという人は、果たして日本人なのか日本人ではないのか。オーストラリアもそうですし、どの国でもそういうアイデンティティの問題はあるものですが、日本とアジアの関係を通して研究することで、そうした日本人のアイデンティティ的な部分ももう少し深く見えるようになるのではないかと考えています。

 それから、最近のメディア報道では日本と中国、日本と韓国の関係が悪いというニュースばかりですが、そういうイメージ以外の現実もあることを知ってほしいですね。

 私は去年福岡に行ってきましたが、福岡に行くとびっくりします。韓国人がたくさんいますし、韓国語もいろんなところで見聞きします。福岡市の市のレベルでの韓国との関係づくりもすごく活発です。メディアの報道とは違い、そういう草の根レベルで交流を続けようと努力している人々もたくさんいます。

 他にも、80年代の韓国の民主化運動をさまざまな面で支えたのは日本ですが、そういうことは日本でも韓国ではあまり知られていません。そうしたポジティブな歴史的関係もあることを、きちんと認識しておくことが大切です。

 それともう一つ、これまでの日本近代史研究はアメリカとの関係、アメリカからの影響が強かったという研究が一般的ですが、アメリカだけではなく、アジアの国々も日本の近代化に影響してきたことも証明したいですね。

 

 

情報を一つずつたどり、日本でしか出会えない資料と遭遇

 

日本にいる間のフィールドワークのようすや、有意義だった点を教えてください。

 

 まず6か月間他に何もしなくてもいい、研究だけ、資料収集だけをできるというのは、私にとってこれ以上幸せなことはないです。

 日々していることは本当に地味なことですが、インターネットや図書館で必要と思われる資料を調べ、探して入手し、一つの資料を読むと人の名前や事件、他の本や雑誌の名前などが出てくるので、それをまた探しに行くという作業です。今回の滞在研究ではこういう本を書きたいというだいたいのアイデアがあるため、できるだけそれに関係した資料を探し、自分のアイデアは本当に正しいかどうかを確認しています。

 さらに見つけた資料の60~70%は使えません。せっかく見つけても目を通すと「違うな」となります。資料探しは本当に地道な作業で、森の中にある一本しかない木を探しているような感覚ですね。

 それでも、偶然に見つけて「これはすごい」という資料もあります。たとえば藤沢市立図書館に所蔵されていた『民際外交20年』(1995年刊)という神奈川県の資料です。「民際外交」というのは1975~95年に神奈川県知事だった長洲一二のアイデアです。彼はもともと経済学者でしたが、国レベルではなく民間レベルでのアジアとの関係をよくしなければいけないという考えがあり、知事になってから「民際外交」という言葉を作り、政策を作って実現していきました。そして80年代の終わりから90年代になると、イランやフィリピンなどアジアからの移民労働者が増えてきて、そのときにこの民際外交が外国人労働者を支持する政策にもつながっていきます。

 もともと長洲一二が知事になる前にアジアについて研究していたことは知っていましたが、今回日本に来る前には、こういう政策があったこと自体を知りませんでした。おそらく長洲一二の関係の資料を読みながら、「民際外交」という言葉が出てきて、それを調べていってこの資料にたどり着いたのだと思います。この本は、自分の研究の中でも大切な一部分になると思います。

 

一つずつ情報をたどるようにして、重要な資料に行き着いたのですね。

 

 それから、鶴見良行の『バナナと日本人』の初版本も入手しました。

 鶴見良行は、哲学者でハーバード大学を卒業した鶴見俊輔のいとこです。アメリカ通だった鶴見俊輔とは違うことをしたいという思いが強く、一般の研究者としてアジアを研究していました。そして70年代から80年代にかけてアジアで起こっていた問題について『バナナと日本人』という本を著しました。

 これは1982年発刊で、本の内容はなかなか重いです。70~80年代は日本からアジアへの投資が急激に増え、当時日本で消費されるバナナの80%くらいがフィリピンから来ていました。そのフィリピンのプランテーションで起きている公害や労働問題、日本でバナナが非常に安い理由などを一般の人にもわかりやすく記しています。

 この本はよく売れて、その後に日本人が日常生活で消費しているものの多くがアジアから来ていて、そこにどういう問題があるのかを学ぶ市民レベルのグループが数多くできました。そういう意味で鶴見良行は、日本とアジアとのつながりに関して重要な役割を果たしています。彼は私の研究の「日本の中のアジア」を知るうえで重要な存在で、いつか鶴見良行の書いた資料を全て収集して読みたいと思っています。

 また、在日韓国人が発行する『季刊 三千里』という季刊誌も、日本にいなければ手に入らなかった貴重な資料です。 1985年に発行された号では、在日韓国人と日本の進歩的知識人の「日本の戦後責任とアジア」という対談が収載されています。戦後の長い間、両者の間には非常に深い溝がありましたが、80年代になってようやく戦争のことについて同じ席で話せるようになった、その一つの証明だと思います。

 この雑誌は古本屋でたまたま見つけたものです。東京の神保町の古書店街などで、優れた資料がよく見つかります。まるで宝探し、トレジャーハンターのようです。ただ、どういうトレジャーがあるのかは事前にはわからない。探し出してみて読んで初めて「これは本当に素晴らしい宝だ」とわかるというのが、研究の醍醐味です。

 

 

海岸を走りながら美しい富士山も堪能。帰国後は、本の執筆に集中

 

日本に滞在中の生活はいかがでしたか、趣味の時間などはありましたか?

 

 日本では妻の実家のある神奈川県藤沢市に住んでいました。鎌倉に近いため、家族と鎌倉にはよく行きました。1月中旬にも鶴岡八幡宮を散歩しましたし、鎌倉は大好きですね。

 あと僕はマラソンをやっているので、毎日15kmくらい走っていました。走るのに湘南エリアは最高ですよ。自宅から江の島まで川沿いに4km走り、またそこから海岸線を4~5km走ると、富士山がすごくきれいに見えます。朝起きて走って、きれいな富士山を見るというのも、日本に滞在している間の幸せの一つです。

 そのほかには趣味というのはあまりないですね。「趣味は研究」です。自分でもつまらない人間だと思いますが、趣味にあてる時間がもったいない、日本にいるのだからとにかく研究がしたいという思いです。それでよく妻に怒られますが(笑)、たぶん学者はみんなそうだと思います。

 

それでは帰国されてからの予定、今後の展望についてお話をお願いします。

 

 今後のいちばん大きな目的は、本の執筆です。とにかくオーストラリアに帰ったら、資料をもう一回ゆっくり読み、全体的な歴史のイメージを頭の中に作り、少しずつ本の執筆をしようと思っています。

 また「アジアと日本」というテーマに非常に興味がありますので、できれば他の学者たちとグループを作って会議をし、一緒に論文集を作りたいと思っています。そのほかには、いくつか学術的論文を書きたいと考えています。

 帰国すると、勤務している大学での授業も始まりますが、今学期は日本近代史についての授業を持っているので、講義の中でも今回の研究の成果を積極的に伝えていきたいですね。

 

(2020年2月取材)

 

AVENELL Simon Andrew(アベネル サイモン アンドリュー)

オーストラリア国立大学 アジア太平洋カレッジ 文化・歴史・言語学科 准教授、副学部長
研究タイトル:「戦後日本の市民社会とアジア:草の根での繋がりの構築」
招聘期間:2019年9月1日~2020年2月29日(短期/前期)
受入機関:東京外国語大学
カリフォルニア大学バークレー校で修士課程、博士課程を修了。2003年からシンガポール国立大学・日本研究学科助教授、2007年から同大学助教授、副学科長。2013年1 月~2016年12月、オーストラリア国立大学・アジア太平洋カレッジ准教授、オーストラリア研究会議研究員、オーストラリア国立大学日本研究所所長。2016年8月より、オーストラリア国立大学・アジア太平洋カレッジ准教授、副学部長。

Interview

研究者インタビュー

「日本研究フェローシップ」により日本で研究生活を送った研究者の皆さんに、研究内容についてインタビューしました。