Interview

03

「外国人による日本語弁論大会」は
日本の文化と外国の文化の
接点となる “第三空間”

「外国人による日本語弁論大会」は
日本の文化と外国の文化の
接点となる “第三空間”

研究タイトル「外国人による日本語弁論大会
─半世紀の受賞者スピーチから探る弁論の形、日本に向ける視点─」

オハイオ州立大学 教授

野田 眞理さん(アメリカ)[第12回招聘研究者]

研究タイトル「外国人による日本語弁論大会
─半世紀の受賞者スピーチから探る弁論の形、日本に向ける視点─」

オハイオ州立大学 教授

野田 眞理さん(アメリカ)[第12回招聘研究者]

言語を学習する人にとって、その言語で行われる弁論大会は、学習成果を広くお披露目する格好の機会です。日本でも、1960年から「外国人による日本語弁論大会」(国際教育振興会主催)が開催されています。その歴史はなんと今年で59年。
アメリカのオハイオ州立大学で日本語教育研究を行っている野田眞理先生は、この大会の半世紀以上に渡る長い歴史に注目。同大会で発表された弁論をもとに、外国人の日本と日本文化を見る目がどのように変わっていったのかを分析すると同時に、弁論という“パフォーマンス”において、弁者がどのようなレトリックを用い、聴衆とどのように関わっているのかを探りました。

 

弁論は言語を使ったパフォーマンスそのもの

 

野田先生が「外国人による日本語弁論大会」を研究対象としたのはなぜですか?

 

 私は今、アメリカのオハイオ州立大学で日本語を教えていますが、実はオハイオ州にも日本語のスピーチコンテストがあるんです。私は主催団体の理事長を務めていて、教え子もコンテストに参加しています。そのような環境から、「外国語で行う弁論とは何だろうか」と考えるようになったんです。日本では以前から外国人による弁論大会が行われており、ウェブサイトで実際のスピーチの映像を見て、ますます興味が湧いてきました。

 私は生徒に日本語を教えていますが、授業では言語そのものというより、日本という社会・文化の中で日本語を使って生活するとはどういうことかを教えています。単語や文法を教えるだけではなく、言語活動をパフォーマンスとして扱っているんですね。

 弁論大会弁論というのは、まさに言語を使ったパフォーマンスそのものです。しかも、日本で行われている「外国人による日本語弁論大会」は、観客のほとんどが日本人であるという特徴があります。日本の文化と外国の文化の接点となっている現場なわけです。異なる文化背景をもつ人同士が、同じ目的を達成するために協力しあう時空を指して、「第三空間」という概念が提唱されていますが、この弁論大会は、その第三空間のひとつのあらわれではないかと思ったのです。

 

日本でこんなに昔から外国人による弁論大会が開催されているとは知りませんでした。

 

 この弁論大会は、1960年に第一回大会が行われているんですね。東京オリンピックの4年前から始まって、そこから毎年ずっと続いている。個人的なことですが、私が物心ついてから生きてきた年代とオーバーラップするわけです。この間、外国人たちは日本の社会をどうとらえて、どのようなことを語ってきたのだろうかと想像したら、ぜひはじめから見てみたいと思いました。

 

当時の資料は残されているんでしょうか?

 

 第1回の資料は、残念ながら残っていません。2~4回大会については、出版物に多少記述がある程度で、音源・動画があるのはオリンピックが開催された1964年からです。私は弁論をパフォーマンスとして捉えたいと思っているので、最低でも音源が欲しい。そこで、1964~2017年の大会を対象として、研究を進めました。大会出場者は毎年約12名ですが、半年間の滞在研究では、観客や審査員に受け入れられたと考えられる上位入賞者2名のスピーチに絞り、音源・映像を視聴し、文字化して、内容を分析しました。

 映像を繰り返し見たり聞いたりしながら、いろんなポイントを確認していくことは、とても孤独な作業です。研究室でひとりでケラケラ笑ったり、泣いたりするんですね。そんな自分を「なぜ今、私は笑ったんだろう?」とか、「なぜ今、私は泣いたんだろう?」と眺めている研究者としての自分もいるんです。根を詰めてパソコンを打ったために腱鞘炎にもなりましたが、とても面白い体験をしました。

 

最近の大会のスピーチをウェブで見ましたが、みなさん、とても美しい日本語で感動的なスピーチをされていて驚きました。

 

 そうなんです。外国人としては、でなく、外国人だからこその視点から、本当にメッセージとしていいものがたくさんあるんですね。文字におこしてみると、文法的な間違いなんてありません。語彙も素晴らしい。誰かがコーチングしているのは明らかですが、発信されるメッセージは間違いなく本人のものですし、実際にその会場で発表するのも本人です。声、話し方、表情、身振り、服装…。まさにパフォーマンスなんですよね。

 

スピーチを分析してみて、何か発見はありましたか?

 

 いろんなことがわかりました。ひとつは、スピーチで扱われる文化のとらえ方ですね。これは全体の統計ですが、圧倒的に多いのが、日本の行動文化に関する意見です。「思いやり」、「閉鎖的」、「偏見」などですね。扱われる題材は年代ごとにいろいろ変化していますが、とくに大きく変わっているのは、日本に対する視点です。1960年代から70年代の初めごろは、わりと批判的な視点が多いんです。「日本はもっとこうあるべきだ」、「ここが欠けている」といったもので、その意見には今も通じるものがあります。この頃は弁者の立場が強かった時期だとも言えますね。80年代になると、今度は日本が様々な国に経済援助をしていることを背景に、「援助している国のことをもっと知ってほしい」、「援助はありがたいけど、こういうことも考えてほしい」といった、期待・提言が増えてきます。2000年からここ数年は、賞賛や親しみ、魅力といったポジティブな視点が多いですね。印象に残っているものに、58回大会の日本のおもてなしに関するスピーチがあります。これは、「おもてなし」は素晴らしいけれど、「うら・おもて・なし」にしてほしいというメッセージをうまく伝えているんですね。実際のパフォーマンスを見ていただかないと、その魅力を伝えきれないですけれども。

 

 

聴衆を別の次元へトリップさせる「引く」という技法

 

この弁論大会の審査基準はどうなっているんでしょうか?

 

 主題を支える話や構成といった内容や、文法や発音など言語の使い方、話し方など、総合的に判断されます。

 実は、今年行われた59回大会には、私も審査員として参加したんです。主催者団体の国際教育振興会さんとは、来日する前からコンタクトをとってお世話になっていたのですが、そうこうするうちに審査員をやりませんか、と声をかけていただいて…。大会を生で観たのは初めてで、これは本当に貴重な体験でした。出場者同士が日本語を共通語として、意見交換をする姿を見て、この大会が文化交流に重要な役割を果たしていると実感しました。

 

上位入賞するスピーチには、なにか特長があるのでしょうか?

 

 私が注目しているのは、「引く」という技法です。要するに「引用」ですが、聴衆の心を捉えるパフォーマンスは、記憶への働きかけとしてよく引用が用いられているんです。

 今の時代、プレゼンをする時はパワーポイントを使って映像で説明しますよね。でも、弁論にはそれは使えません。けれども、「引く」という技法でパフォーマンスの中に別のパフォーマンスを持ってきたり、聴衆を違う次元へと引き込むことができます。

 例えば、弁論大会では、広告のフレーズが上手に使われています。「わんぱくでもいい」、「違いのわかる」などですね。このフレーズを聞いたとたん、聴衆は自分の記憶の中へトリップするんです。スピーチの中に巻き込まれる。この技術が素晴らしいんです。

 とくに感動したのは、2015年のフィリピンの学生の弁論です。彼女はとてもきれいな声で、静かなトーンで話すんですよ。冒頭、日本の雨を歌った和歌を引いたのですが、自分が実際に日本に来て、和歌と同じように雨に打たれた体験を話す情景になったとたん、語り口がそれまでの「~です」「~ます」から、「~した」「~だろう」というふうに変化したんです。この部分は、言ってみればこの人がこれから紡ぐ文学作品の朗読なんです。未来に起こるであろう世界に、聴衆をいざなっているんですね。私自身も引き込まれましたし、その劇中劇的な効果をとても面白いと思いました。

 

 

生活費のために日本語教育の世界へ

 

先生がアメリカで日本語教育研究の分野に進んだのはなぜですか?

 

 私は高校生の時にアメリカに行って、そのままアメリカの大学で食品学を学んでいました。ところが2年生の時、両親が帰国することになって、私も一緒に日本に帰るように言われたんです。それを断って、私はアメリカにひとり残ることにしました。当時はまだ1ドル360円の時代で、親としてはそんなに仕送りもできない。そこでアルバイトをしようと日本語科の教授に会いに行き、ティーチングアシスタントとして日本語を教え始めました。今は、ティーチングアシスタントは大学院生しかなれませんが、当時はまだ日本語教育が産声をあげたばかりの時期だったので、学部生でも雇ってもらえたんですね。

 

生活費のために日本語を教え始めたんですね。

 

 ティーチングアシスタントになると、学費も免除されましたからね。教えるようになってわかったのですが、日本語は、実は非常に構造がきっちりしているんです。秩序正しくて、わかりやすいんですよ。ところが、文化面での約束事がいろいろあるのでややこしい。こうした二重の性格があることを知って、日本語ってこんな言語だったの?! と本当に目から鱗でしたね。とても興味深く思いました。

 

日本語を教えながら食品学の勉強も続けたのですか?

 

 ええ、食品学で大学院も受かりました。でも、結局フルタイムで日本語を教える道を選び、その後言語学で大学院に進みました。博士課程の時、日本語教育の恩師であるエレノア・ジョーデン先生から、日本語の教材を作り直したいから一緒に作らないかと声をかけていただき、教材づくりのお手伝いをすることになりました。

 教材を作る経験は非常に面白かったですし、その時に作った教科書はかなり売れました。

 

日本語教育を続けて、変わってきたと感じることはありますか?

 

 私が教え始めた頃は、日本語を学ぶのは院生のおじさんだけでした。学部生の私は年下のちっちゃい日本人という感じでしたから、心配したジョーデン先生から「教室に入ったらあなたが授業をコントロールするのよ」と言われたのを覚えています。2年ぐらい経った後、先生から今度は「もっと笑っていいんですよ」と言われて…。それまでは生徒になめられないように必死で、笑うことも忘れていたんですね。

 今は、日本語を学ぶのはむしろ学部生が多く、みんな日本のことをよく知っています。アニメなど、日本のポップカルチャーに興味をもって日本語を学びはじめ、後からこれをキャリアとして使えないかと考える…というプロセスを経る学生も多いですね。

 

今回、半年間の滞在研究をされて、日本の変化は何か感じましたか?

 

 数年前から感じていたのですが、決まり事や手順の表現が多く、それが年々エスカレートしているような気がします。例えば、キャンディの袋を見ると、上の方に矢印が付いていて「こちらからお開けください」と書いてある。開けると、さらに中の小さいキャンディの包みのひとつひとつに「こちらからお開けください」とあるんですね。ジップロック式の袋では、「使用後は必ず口を閉めて保存してください」、インスタントのお味噌汁には「熱湯にはご注意ください」…。当たり前じゃないかと(笑)。アメリカ的な見方をすれば、これは訴訟を起こされた時の保身のためかとも思うんですが、日本の場合、拍車をかけているのが例の「思いやり」ではないかと思うんです。

 実は、私も言われたことがあるんです。アメリカで手巻き寿司パーティをした時のことですが、まず私が「こういうふうにやるのよ」と実演をしてみせたんです。すると、日本文化に通じたアメリカ人の友人が「やっぱりあなたは日本人なのね」と…。彼女が言うには、「そんなの、いちいち言わなくてもみんな適当にやるわよ」ってことなんですが、「教えてあげなきゃ」と思ってしまうのが日本人なんだな、と思いました。

 

先生は、異なる文化と文化が接する弁論大会を“第三空間”の例と表現していらっしゃいましたが、先生ご自身も第三空間を多く経験されていると思います。第三空間で、物事をうまくいかせるためには重要なことはなんでしょうか?

 

 やっぱり、まずお互いの文化をよく理解すること。そして、どちらがいいとか悪いとかじゃなくて、「こちらのやり方はこうだけど、そちらのやり方はこうですよね。それじゃあ、この中間で手を打ちませんか」という話ができるようになると、うまくいくような気がします。そういう話ができるのは、お互いが同じ方向を見ているからこそできるんですよね。お互いの利害だけを考えて、それをぶつけあっているうちは難しい。本当の意味で、同じ目的・目標を目指すことができるようになれば、物事はうまくいくと思います。

(2018年7月取材)

野田 眞理(のだ まり)

オハイオ州立大学 東アジア言語文学科 教授
研究タイトル:「外国人による日本語弁論大会 ─半世紀の受賞者スピーチから探る弁論の形、日本に向ける視点─」
招聘期間:2018年3月1日~2018年8月31日(短期/後期)
受入機関:早稲田大学
日本で生まれ、高校生でアメリカへ渡る。米国コーネル大学で人間生態学科(食品と栄養学)を学ぶ傍ら、言語学科で日本語ティーチングアシスタントを務める。1976年から日本語専任講師となり、日本語教育研究の道に進む。1990年よりアメリカオハイオ州立大学助教授、准教授を経て2009年より教授。

Interview

研究者インタビュー

「日本研究フェローシップ」により日本で研究生活を送った研究者の皆さんに、研究内容についてインタビューしました。