井戸川射子(いどがわ・いこ)
1987年兵庫県出身。2019年詩集『する、されるユートピア』で中原中也賞。2021年小説集『ここはとても速い川』で野間文芸新人賞。2023年『この世の喜びよ』で芥川賞。詩人、小説家として活躍。

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 父が国語教師だったこともあり「休日は家族で図書館に行く」そんな家庭で育ち、子どものから自然と本にれていました。
 すごくしい本を読んでいたわけでも、文学少女なわけでもなかったのですが、から活字がきでした。
 小学生のときは、『わかったさんのおかしシリーズ』や『青い鳥文庫』などの児童書を読み、中学生、高校生のときは、エンターテインメント小説やマンガを愛読していました。一貫して、ただただ文字を読むことがきで。
 大学を卒業して父と同じ国語教師になってからは、まわりの人にべて読書量が足りないと危機感ち、とにかく手当たり次第本を読み、そして教職並行して、詩作をはじめました。
 今思い返してみると、子どものは、本はすごくきだったけど、自信を持って「読書家です!」とは言えなかったですね。
 詩は、自由。読み方も、楽しみ方も自由です。小説やマンガにべて、しい印象を持たれますが、無理にわかろうとしなくていいんです。「わからないけど、この文章すごくいい」「しいけど、この部分がなんか素敵」と感じることが大切。文章は「わかる、の共感」か「そうなんだ、の発見」か、どちらかをめられることが多いですが、それだけではないのが、詩です。

 詩と小説、どちらも創作する中で、よく「詩と小説いは?」と聞かれることがあります。自分の中ではっきりと答えが出ているわけではないですが、詩を書く時には無邪気でありたいと思っています。

 小説内容曖昧だったり、理解できないと、ラストまで読むことはできないですよね。でも詩は、場面設計などなくて曖昧でも、理解されなくても、り立つ。読む人のことを考えないほうが、むしろ詩になる時もある。「何かがわかっていく」のが小説であるならば、「わからないものをわからないまま受け止める」それが、詩です。

 詩の魅力は"純度の高さ"。背景説明やこの人物が今どこにいるか、何をしているかなどずしも必要なく、純粋に自分が書きたいものだけをべても、詩になります。

 それが詩の自由さ。ただ自由な分、その自由の中で発揮される"無邪気さ"が大切だと思います。"無邪気さ"って、もが子どものはもっと持っていて、けど生きていく中ですりっていくもの。詩を書くこと、読むことで、その気持ちがくのではないか、と思います。

 祖父くなったときに、悲しい記憶れないように、そのときの気持ちを書いてそうと思ったのが、詩を書きはじめたきっかけです。

 最初は、どんなものが詩なのか、文章の最後に丸はつけるのか、改行必要なのかなど、わからないことだらけでした。なので、とにかく作品をたくさん読んで、そこから詩は自由に書いていい、ということを学びました。

 自由に書くための創作準備としては、普段から、思いついたことはメモ帳に書きめています。景色映画を見て感じたことなども。この一文を詩に使うか、小説に使うかは決めないまま、とにかく文字で、言葉で、しています。このメモを書いているときが一番楽しいかもしれません(笑)また、他の作家さんの詩や小説を読んで心にった一文や題名なども、ノートにメモして、時々読み返しています。

 「書いてみよう、書きたい」と思うと、すごく細かに読みたくなるんですよね。みなさんにも詩を読んで、書いてほしい。「書くために読む」ことを、ぜひ体験してしいです。

 創作時状況環境でも、詩のあり方はわってきます。第1詩集『する、されるユートピア』は、自分の経験記憶れないように書きましたが、第2詩集『遠景』は、2人目の子どもを出産して、子育て真っ只中で、すごくかった時期に書きました。産休育休のときに、詩で『中原中也賞』を受賞し、その後小説を書きはじめ『野間文芸新人賞』を受賞

 それから教師復帰して、1年間作家と教師の両立生活がきました。とにかく時間がなくて大変でしたね。そんなときでも「今日も少しでも書けた」とかがみになって、執筆育児との、気持ちの切りえになりました。

 本を1読み終えるのはなかなかしい。最後まで読めなかった本や、今読むものではないかもと感じた小説もありました。

 それに比べて詩は、短さゆえに、読み始め読み終えやすかったり、何かに落ちこんでいる時でも、その読者の心をなでしないという、遠さがしさにつながったりする。そして、書くハードルも高くない。何を書いてもいいし、今日1日のことを書いたら詩になることだってある。「これが詩です」と言えば、詩になるんです。この詩の自由さをぜひ味わってみてしいです。

質問:詩はどんなときに読むのが良いですか。


井戸川さんの答え:詩の魅力は、いつどんなときでも読めること。本屋で詩集を手に取り「この本にはきな言葉が多い」と思ったら一買ってみる。お風呂に入る前やる前、隙間時間で詩にれてみてください。また、自分の思いを言葉にできなかったときや上手くえることができなかったとき、すごくへこんだとき、詩を読んでしいです。今の自分の状況や気持ちに合わせて、ストーリーに駆動される小説とはって、詩は共感余地がなくていい。だからいつでも読むことができるんです。


質問:詩は自分なりの受け止め方があっても良いですか。


井戸川さんの答え:詩の受け止め方は、自由です。自分なりの受け止め方で、無理理解しようとしなくて大丈夫。国語の試験問題とって、理解すること、それに対してしっかり答えを出すことが重要ではないです。しい、と思いながらも「わからないけどいい」「わからないけどき」に行き着いたなら、詩を読むことがとても楽しくなるはずです。そこから「自由に表現できるなら、詩を書いてみよう」と思ってらえたら、しいですね。

 書くためには「を学ぶ」ことが大切です。を知らなければ、れないです。を学ぶことで、自由に書くことの楽しさを知ることができます。あとはオリジナリティを出すことで、自分が書く意味が生まれる。なかなかしいですよね。文章は、一文書いて、また一文書いて、そして何度も読んできた経験み重ねとなり、個性となります。だからまずは書いてみること。いたことや感動したことなど、ひとつふたつにズームをあてて、自分の視点で書いてみる。読者はそれが知りたい。そして、"無邪気さ"をれずにしてください。