Vol.120 |
2025.06.16 |
「普通」のコトダマ
教鞭をとっている大学で、毎年、学生たちに
「どんなときに幸せを感じますか」
という質問をしています。
7、8年前は、
「バイトで稼いだお金で、行きたい土地に旅行しているとき」
「好きな人といっしょにいるとき」
などと、私が学生だった頃と変わらない幸福感がよく上がってきました。
様子が変わったのはパンデミック禍以降です。
「家族で買い物できるアパレルショップに行って、『お父さんに似合うポロシャツ』や『おばぁちゃんが好きそうな帽子』をみんなで選んでいるとき」
という日常を書いてくる学生が多いのです。
自分の服を買うだけでなく、家族で出かけてみんなで選ぶ。その時間が幸せだと言います。
「家族で、カラオケに行くとき」
「家族で、焼肉を食べにいくとき」
と、「家族」という文字がアンケート用紙に溢れています。
「そんなに家族が仲良しなの?」
と尋ねると、多くの学生がクビを振る。
「中学、高校時代は、ものすごい反抗期で、
『うるせえ、クソばばぁ!』
と、親に向かって言っていた時代もありました」
と、苦笑いをする。ここまでひどくなくても、親とはうまく話せなかった。特に父親とのコミュニケーションに困ったという学生が多いのです。
大学生になって、一人暮らしを始める。
奨学金を払うためにバイトをする。
親からの「お小遣い」で暮らしていた生活が終わったあたりから、家族との関係が変わってくるそうです。
「こんなにイヤな思いをして働いて、この程度のお金しか稼げないのか」
と知って、唖然とする。
「ってことは、この大学の学費を払うために、どれだけ親は無理をしているんだろう」
「下宿をして、当たり前のように出てきた実家の食事のありがたさを知ります」
と一気に親子関係に変わる。
お母さんとリモートでつながり、料理を習う子も多く、
「おかあさんの隠し味に驚愕した」
と言った感想を書いてきます。
ある学生が、
「『普通』って大変なことなんですよ。
毎日、普通でいるためには、すごい努力をしなくちゃいけない。
私、自分が受けてきた『普通の生活』を自分で作っていく自信がないです」
と言い、
「普通が、一番です」
と締めくくりました。
時代は厳しくなる一方で、親は遅くまで働いている。何もかもが値上がりし、家計はどこも苦しい。
しかし、親はそれを子どもに見せることがない。
親が必死につくってくれている「普通の生活」に、大学生になった頃に気づく子どもがとても多いのです。
このコラムを読んでくださる方の中にはお子さんの反抗期に悩んでらっしゃる方も多いでしょう。
私の教え子の多くも、親とうまくいかない時期があったといいます。しかし、大学生になるころ、つまり「社会」を肌身で知る時期になって、
「普通のコトダマ」
が心身に鳴り響く。
家族でにこやかに過ごす時間が、もっとも幸せな時間と自覚するようです。
時間はかかるかもしれません。
しかし、多くの子どもは、親の苦労はわかっていつつも、振り上げた反抗の拳の落としどころが見つからない時期があるのです。
「普通が一番」
と思ってくれる日は必ずやってきます。
私から見れば、どの学生も家族が大好き。
なんとも優しく、愛おしい子ばかりです。